第4部 ふかめる 4.17

バターチキン誕生史と派生の系譜

バターチキン誕生史と派生の系譜

「世界でいちばん名を知られたインド料理」と言われるバターチキン。ところがその正体は、宮廷の伝統料理ではなく、約70年前のデリーで余ったタンドリーチキンを生まれ変わらせた一皿でした。なぜそれが世界の食卓を席巻し、英国でチキンティッカマサラを、オールドデリーでアスラムチキンを生んだのか。一皿の「誕生」と「派生」を一本の系譜でたどります。

約70年前、デリーで生まれた一皿

バターチキンの誕生は、だいたい1950年代、独立して間もないインドの首都デリーにさかのぼります。舞台はモティマハール(Moti Mahal)というレストラン。ここがバターチキンを生んだ店、とされています。

きっかけは、ごく現実的な事情でした。看板メニューのタンドリーチキンが、その日のうちに売り切れずにどうしても余ってしまう。焼いた鶏肉は時間が経つとパサつきます。そこで、余ったタンドリーチキンをぶつ切りにし、トマトをベースにしたソースに入れて新しいカレーに仕立て直した——これがバターチキンの始まりだと語り継がれています。

「ニューデリーにあるモティマハールというレストランがあるんですが、そこがバターチキンを作った。余ってしまったタンドリーチキンを、トマトソースに入れて新しいカレーを作ったんです。」 — メタ・バラッツ

つまりバターチキンは、最初から「ごちそう」として設計されたのではなく、もったいない精神(食材の救済)から生まれた賄い的な発明だったわけです。これは、料理史のなかでも珍しい出自を持っています。多くの郷土料理が家庭から外へ広がるのに対し、バターチキンは宮廷由来の濃いソースの技法 × レストランの厨房事情という、外で生まれて外で育った料理でした。

なぜデリーだったのか — 印パ分離とタンドールの共同体

ではなぜ、よりによってデリーのこの店だったのか。背景には、1947年の印パ分離(パーティション)という大きな歴史の波があります。

もともと、現在のパキスタン側――カラチなどの街で評判のレストランを営んでいたスィク(シク)教徒たちがいました。分離独立にともなう大移動のなかで、彼らは故郷の味とともにデリーへ移り住みます。彼らが持ち込んだのが、タンドール(壺窯)の文化でした。

タンドールは、もともと共同のかまどとして地域で共有されていた歴史を持ちます。家ごとに窯を持つのではなく、ひとつの窯をみんなで使う。そこに各家庭のレシピや焼き方の工夫が集まり、互いに刺激し合う。

「北インドの1950年代に一気に、このサンジャ・チュルハ(共同窯)から名作が次々に生まれていったんです。家庭で眠っていたレシピや作り方が、共同の窯を通じてオープンになっていく。バターチキンは、その流れの頂点にある一皿です。」 — メタ・バラッツ

タンドールがあったからタンドリーチキンが焼け、タンドリーチキンが余ったからバターチキンが生まれた。「窯 → 焼き鳥 → 余り肉 → 煮込み」という連鎖は、デリーという場所と時代があって初めて成立したのです。

バターチキン「らしさ」を決める四つの素材

誕生の物語と同じくらい大切なのが、「何がこの料理をバターチキンたらしめているのか」という問いです。バラッツは、その核を4つの素材の調和として説明します。

  • ヨーグルト — タンドリーチキンを下漬けする酸味とコク。肉をやわらかくし、土台の風味をつくる。
  • トマト — 救済ソースの主役。甘みと酸味で全体をまとめる。
  • バター — 名前のとおりの主役。リッチさと丸み。
  • カスリメティ(フェネグリークの葉を乾燥させたもの) — 仕上げに揉み入れる、あの独特の香り。

「バターチキンというのは、結局のところ、ヨーグルトとトマトを、バターとカスリメティが調和させている料理なんです。」 — メタ・バラッツ

とりわけ最後のカスリメティが効きます。バラッツいわく「これが入ることで、ぐっとバターチキンらしさが出る」。同じトマトベースのチキンカレーでも、仕上げにカスリメティを揉み入れるかどうかで、印象は大きく変わります。

なお名前についての小ネタも。リッチなトマトソース系を指す「マッカニー(makhani)」という呼び方がありますが、これはもともとバターのブランド名に由来し、「バターのように濃厚な」というニュアンスでリッチさの代名詞になった、と語られています。

バターは「主役」、油では代用できない

よく寄せられる質問が「バターの代わりにサラダ油やマーガリンでもいいですか?」というもの。ここはバラッツの答えがはっきりしています。バターチキンにおいてバターは風味の主役そのものであり、ただの加熱媒体ではありません。だから、サラダ油やマーガリンでは「バターチキン」にはならない、というのが基本の立場です。名前に素材が入っている料理は、その素材を抜くと別物になる――その典型がこの一皿です。

一皿が世界へ — ネルー外交と「インド料理三点セット」

バターチキンが「世界でいちばん名を知られたインド料理」になった背景には、外交がありました。

モティマハールのタンドリーチキンとバターチキンは、独立後のインドを象徴する料理として、初代首相ジャワハルラール・ネルーに愛されたと伝えられます。各国から賓客が訪れるたびに、首相はこの店の味を振る舞った。こうして国賓のテーブルを通じて、タンドリーチキンとバターチキンは世界中の要人の記憶に刻まれていきました。

「いろんな国の偉い人が訪ねてくるたびに、そこのタンドリーチキンを食べさせていた。そうやってインド料理が世界へ出ていったんです。」 — メタ・バラッツ

やがて海外では「インド料理といえばタンドリーチキン・バターチキン・ナンだよね」という、いわば三点セットのイメージが定着します。これが今日まで続く「世界の中のインド料理像」の原型になりました。

派生の系譜 — 一皿が枝分かれしていく

ヒットした料理は、必ず枝分かれします。バターチキンも例外ではありません。素材にある範囲で、主な派生を系譜として並べてみます。

1. 英国生まれの従兄弟 — チキンティッカマサラ

海を越えた英国で生まれたのがチキンティッカマサラ。これは「発祥の地がインドではなくイギリス」という、ユニークな出自を持つインド料理です。逸話として、客から「ソースが欲しい」というクレームをきっかけに、ティッカ(焼いた肉)にトマト系ソースを合わせて名前をつけた、という話が伝わっています。バターチキンの英国版の従兄弟と位置づけると、関係がすっきり見えます。

2. オールドデリーの剛速球 — アスラムチキン

同じデリーでも、旧市街(オールドデリー)にはアスラム(Aslam)というレストランがあり、独自のバターチキンを発展させました。特徴は、炭火で焼いたチキンに大量の溶かしバターをたっぷりかけて仕上げるスタイル。ほとんどバターが主役と言っていいほどリッチで、店の名をとって「アスラムチキン」とも呼ばれる、別系統の名物になっています。

3. 時代が生んだ「バター控えめ」版

近年は、乳製品の価格高騰などを背景に、バターをあまり使わずにバターチキンらしさを出す工夫も生まれています。ここで効いてくるのが、やはり前述のカスリメティ。バターを減らしても、カスリメティの香りで「らしさ」を補う、という発想です。一皿が、原価や時代の事情に合わせて姿を変え続けていることがわかります。

なお、元祖をめぐっては関係する店どうしが裁判で争っているとも伝えられます。それだけ「最初の一皿」の価値が大きい、ということでもあります。

系譜を一本の線で

ここまでを、誕生から派生までひとつながりで整理します。

  1. タンドール文化が、印パ分離でデリーへ流入(スィク教徒の移動・共同窯)。
  2. その窯でタンドリーチキンが焼かれ、売れ残りが出る。
  3. 余り肉を救済すべく、トマトソースに入れて煮込んだのがバターチキンの誕生(モティマハール)。
  4. ヨーグルト・トマト・バター・カスリメティの調和が「らしさ」として定着。
  5. ネルー外交で世界の賓客へ。「タンドリー・バターチキン・ナン」が世界の定番イメージに。
  6. 派生が枝分かれ — 英国のチキンティッカマサラ、オールドデリーのアスラムチキン、時代が生んだバター控えめ版

知ると、味わいが変わる

この系譜を知っていると、家でバターチキンを味わうときの解像度が上がります。

  • 「もったいない」から生まれた料理だと思うと、余った焼き鶏や唐揚げをトマトソースで煮込む、という家庭での応用がすっと腑に落ちます(救済ソースという発想そのものが財産)。
  • カスリメティ=らしさのスイッチだと知っていれば、手持ちのトマト系チキンカレーを一段「バターチキン寄り」に寄せたいとき、最後にカスリメティを揉み入れる、という調整ができます。
  • バターは主役という原則を踏まえれば、「軽くしたい」ときに何を削り、何で香りを補えばいいか(=バターを減らすならカスリメティで補う)が見えてきます。

歴史は、レシピの「なぜ」を教えてくれます。なぜトマトなのか、なぜバターなのか、なぜカスリメティなのか――その答えはすべて、デリーの一軒のレストランと、一枚の余ったタンドリーチキンに行き着くのです。

まとめ

  • バターチキンは約70年前(1950年代)のデリーモティマハールで、余ったタンドリーチキンをトマトソースで再生して生まれた。
  • 背景には印パ分離によるスィク教徒の移動と、タンドール(共同窯)文化のデリー流入があった。
  • 「らしさ」の核はヨーグルト・トマト・バター・カスリメティの調和。とくにカスリメティが決め手で、バターは主役(油では代用できない)。
  • ネルー外交で世界へ広まり、「タンドリー・バターチキン・ナン」が世界のインド料理像になった。
  • 派生として、英国生まれのチキンティッカマサラ、オールドデリーのアスラムチキン、時代が生んだバター控えめ版がある(元祖争いの裁判も)。

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