第4部 ふかめる 4.9
パルシー・イラニ料理とイラニカフェ文化

「キーマカレーって、なんでこんなに優しい味がするんだろう」。その答えは、インドの中ではなく、もっと西、ペルシャ(現在のイラン)にあります。8〜9世紀、信仰を守るためにペルシャから西インドへ渡ってきた人々がいました。彼らが持ち込んだ食の感覚。ハーブ、ナッツ、そして「目玉焼きをのせたキーマ」が、いまもインドの一角で生き続けています。この記事では、ムガル宮廷とは別系統の、移民がつくった食文化「パルシー・イラニ料理」をたどります。
目次9
パルシーとは誰か:信仰を抱えて海を渡った人々
「パルシー(Parsi)」という言葉は、文字どおり「ペルシャの人」を意味します。彼らはゾロアスター教を信仰する人々で、ペルシャから西インド(いまのグジャラートやムンバイ(ボンベイ)周辺)へ移り住んできました。
「ペルシャから来たパルシーという人たち。彼らはゾロアスター教を信仰していて、最初に移り住んできた人たちは8世紀から9世紀。インドのもっと北西、ペルシャから渡ってきたんです。」(メタ・バラッツ)
ここで一つ、料理を考えるうえで決定的に重要な事実があります。彼らが最初にインドへ渡ってきた頃、インドにはまだトマトがなかったということ。トマトは新大陸(南米)原産で、コロンブス交換を経てずっと後にインドへ届いた野菜です。だからパルシーの古い料理には、私たちが「インド料理=トマトベース」と思い込んでいる、あの赤くて酸っぱい土台がありません。
ではトマトの代わりに何で味を作るのか。ここから、パルシー・イラニ料理ならではの設計が始まります。
一般のインド料理
- トマトベースの赤い土台
- 酸味・旨味・とろみをトマトに
- 約500年前の新大陸組が前提
パルシーの設計
- 渡来時インドにトマトなし
- 酸はトマトに頼らない
- ハーブ・ナッツ・ジャガリーで奥行き
トマトがない料理の組み立て方:ハーブとナッツの思想
トマトの酸味・旨味・とろみに頼れないとき、料理はどこに「奥行き」を求めるか。パルシーが持ち込んだ答えは、ハーブとナッツ、そして香り高いスパイスを組み合わせるという発想でした。
「ペルシャからやってきた料理は、フェンネルやジンジャー、ピスタチオ。フェンネルやカルダモン、そしてブラックペッパーなどを組み合わせていく。」(メタ・バラッツ)
注目してほしいのは、ここに並ぶ顔ぶれです。
- フェンネル。爽やかな甘い香り
- ジンジャー(生姜)。温かみと立ち上がる香り
- カルダモン。高貴で清涼な香り
- ブラックペッパー。奥に効く辛味と香り
- ピスタチオなどのナッツ。コクと食感
トマトという「重さ」がない代わりに、ハーブの爽やかさとナッツのコクで料理を立体化する。これは、北インドのムガル宮廷料理(こちらも乳製品とナッツでリッチに仕上げますが、トマトやヨーグルトの酸も使います)とは、また少し違う美学です。
重さに、爽やかさを差す
パルシーが住み着いた西インドは、サトウキビがよく取れる土地でもありました。だから彼らの料理には、しばしば黒糖(ジャガリー)の甘みが顔を出します。
「サトウキビがたくさん取れる地域ならではですし、ハーブを入れる。」(メタ・バラッツ)
甘みは料理を「重く」しがちです。そこへハーブの爽やかさを差すことで、甘さと香りのバランスを取る。重さと軽さを同居させるのが、この食文化の手つきです。甘・酸・辛のうち、酸をトマトに頼らず、甘をジャガリーで、爽やかさをハーブで設計する。料理の組み立て方そのものが、移民の来歴を物語っています。
イラニカフェ文化:目玉焼きのキーマと、ちぎるパン
パルシー・イラニ料理を語るとき、外せないのが「イラニカフェ」という場の文化です。「イラニ(Irani)」もまた、ペルシャ=イランから渡ってきた人々を指す言葉。彼らが多く住む地域には、彼らの営む「イラニレストラン」「イラニカフェ」がたくさんあります。
そこで出てくる名物が、目玉焼きをのせたキーマと、ちぎって食べるパンの組み合わせです。
「彼らの経営するレストランやカフェで、こういうキーマカレーが出る。目玉焼きをのせて、ちぎったパンと一緒に食べるんです。」(メタ・バラッツ)
実はこの「キーマ」という言葉自体が、ペルシャ由来です。
「キーマという言葉自体が、インドのもっと北西に位置するペルシャから来ている。意味は『ひき肉』なんです。」(メタ・バラッツ)
つまり、キーマカレーは名前からして移民の食。日本では「ひき肉のカレー」として親しまれていますが、そのルーツをたどると、ペルシャ語の「ひき肉」という素朴な単語に行き着きます。カフェのテーブルで、湯気の立つキーマに黄身を割り、ちぎったパンですくって口へ運ぶ。その一皿に、何百年もの移動の歴史が畳み込まれているわけです。
多彩なプラオ(炊き込みご飯)
パルシーの食卓を彩るもう一つの柱が、プラオ(炊き込みご飯)です。インド西部に多く住むパルシーの人々は、実に多彩なプラオをつくります。
特徴的なのは、フライドオニオン(揚げ玉ねぎ)やレーズンを惜しみなく使うこと。揚げ玉ねぎの香ばしい甘み、レーズンのねっとりした甘酸っぱさ。ここでもまた、「甘み」と「香ばしさ」を重ねる、あの設計思想が顔を出します。トマトの赤ではなく、フライドオニオンの褐色とドライフルーツの甘みでご飯を豊かにする。色も味も、彼らの来歴に根ざしているのです。
アチャール(漬物)も、ナッツとドライフルーツで
漬物(アチャール)にも、パルシーらしさがあらわれます。
「彼らが作るのは、ナッツとかフルーツ、ドライフルーツなんかでアチャールを作るんです。」(メタ・バラッツ)
一般にインドのアチャールは、青マンゴーやライムを油と塩、スパイスで漬け込んだ、強烈に酸っぱくて辛いものを思い浮かべます。ところがパルシーのアチャールは、ナッツやドライフルーツを使う。ここでも甘みとコクが軸になっている。料理の主菜から漬物まで、一貫して同じ美学が貫かれているのが見えてきます。
パルシー・イラニ料理を「読む」3ステップ
レシピそのものではなく、この食文化を理解するための「読み方」を整理しておきます。料理に出会ったとき、次の順で問いかけてみてください。
- トマトはあるか、ないか。 トマトがなければ、何で酸味・コク・とろみを作っているかを探す。古い様式ほどトマト不在の可能性が高い。
- 甘みの出どころを探す。 ジャガリー(黒糖)、レーズン、フライドオニオン、ドライフルーツ。どれで甘みと奥行きを足しているか。
- 爽やかさの担い手を探す。 フェンネル、カルダモン、ジンジャー、ハーブ。重さに対して、どの香りでバランスを取っているか。
この3点を意識すると、「なぜパルシー料理は優しく、奥行きがあるのに重すぎないのか」が腑に落ちます。
応用:この視点で他の料理を見直す
パルシー・イラニ料理の「ハーブとナッツで重さに軽さを差す」「酸をトマトに頼らない」という発想は、家庭の料理にも応用できます。
- キーマをつくるとき。トマトを減らし、フェンネルやカルダモンの香りを足してみる。仕上げに目玉焼きをのせれば、イラニカフェ風の一皿に近づきます。
- 炊き込みご飯をつくるとき。フライドオニオンとレーズンを散らす。トマトなしでも、香ばしさと甘みでご飯が豊かになります。
- 甘い料理が重く感じるとき。ハーブやカルダモンの爽やかな香りを差して、甘さと香りのバランスを取り直す。
移民の食文化が教えてくれるのは、「手元にない食材を嘆くより、別の軸で奥行きをつくる」という料理の知恵です。トマトがなかったからこそ生まれた、ハーブとナッツの設計。その発想は、いまの私たちのキッチンでも十分に生きています。
まとめ
- パルシーとイラニはペルシャから8〜9世紀に西インドへ渡ったゾロアスター教徒で、渡来時のインドにはまだトマトがありませんでした。
- だからこの食文化は酸味やコクをトマトに頼らず、フェンネル・ジンジャー・カルダモン・ナッツの香りと、西インドのジャガリー(黒糖)の甘みで奥行きを作ります。
- 目玉焼きをのせたキーマ(ペルシャ語で「ひき肉」)、フライドオニオンやレーズンのプラオ、ナッツのアチャールまで、主菜から漬物まで一貫した美学が貫かれています。
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よくある質問
- Q.パルシーとはどんな人たちですか?
- A.「ペルシャの人」を意味する言葉で、ゾロアスター教を信仰し、8〜9世紀にペルシャから西インド(いまのグジャラートやムンバイ周辺)へ移り住んできた人々です。彼らが持ち込んだハーブやナッツの食の感覚が、いまもインドの一角で生き続けています。
- Q.パルシー料理にトマトを使わない組み立てがあるのはなぜですか?
- A.彼らが最初にインドへ渡ってきた頃、インドにはまだトマトがなかったからです。トマトは新大陸原産で、コロンブス交換を経てずっと後に届いた野菜です。だから古い様式では酸味やコクをトマトに頼らず、フェンネル・ジンジャー・カルダモン・ブラックペッパーとピスタチオなどのナッツで料理を立体化します。
- Q.キーマという言葉はどこから来たのですか?
- A.ペルシャ語で「ひき肉」を意味する言葉に由来します。つまりキーマカレーは名前からして移民の食です。イラニカフェでは、目玉焼きをのせたキーマをちぎったパンと一緒に食べる名物があり、その一皿に何百年もの移動の歴史が畳み込まれています。
- Q.イラニカフェとは何ですか?
- A.ペルシャ=イランから渡ってきた人々(イラニ)が営むカフェやレストランのことです。彼らが多く住む地域にはイラニレストランやイラニカフェがたくさんあり、名物は目玉焼きをのせたキーマと、ちぎって食べるパンの組み合わせです。
- Q.パルシーのプラオやアチャールにはどんな特徴がありますか?
- A.プラオ(炊き込みご飯)はフライドオニオンやレーズンを惜しみなく使い、香ばしさと甘みを重ねるのが特徴です。アチャールもナッツやドライフルーツで作り、青マンゴーやライムの強烈に酸っぱくて辛い一般的なアチャールとは違って、甘みとコクが軸になっています。主菜から漬物まで一貫した美学です。
- Q.パルシー料理の発想は家庭でどう応用できますか?
- A.キーマを作るときにトマトを減らし、フェンネルやカルダモンの香りを足して、仕上げに目玉焼きをのせればイラニカフェ風に近づきます。炊き込みご飯にフライドオニオンとレーズンを散らす、甘い料理が重く感じたらハーブの爽やかな香りを差す、という「別の軸で奥行きをつくる」知恵が応用できます。

