第3部 くみたてる 3.9
地域のブレンドを巡る — パンチフォロンから自家製マサラまで

地域のブレンドは「土地の構成パターン」でできている
スパイス棚にある顔ぶれは、世界中どこでもそう変わりません。クミン、コリアンダー、マスタード、フェヌグリーク、フェンネル……。それなのに、東インドのカレーとスリランカのカレー、ネパールのカレーはまるで違う味になる。なぜか——答えは「どの土地が、どのスパイスを、どう組むか」という構成パターンが地域ごとに決まっているからです。この記事では、その代表格であるパンチフォロンを軸に、地域のブレンドを「自分で組める設計図」として読み解いていきます。
ここで扱うのは「地域料理の地図」ではなく、あくまで配合の設計です。どの地域に何の料理があるか、という食文化の俯瞰は別の記事に譲り、ここでは「地域のブレンドはどんなルールで組まれているのか」だけに集中します。
なぜ同じスパイスで地域ごとの味が生まれるのか
バラッツがレッスンでよく口にするのは、「同じようなスパイスで、さまざまな地域のカレーができる」という事実です。手元のスパイスはほぼ共通。違うのは、
- どのスパイスを選んで組むか(構成)
- それぞれをどんな比率で混ぜるか(配合)
- ホールで使うか、ローストしてパウダーにするか(形と加工)
この3つだけ。逆に言えば、この3つを意識すれば、手持ちのスパイスのまま「地域を旅する」ように味を変えられます。地域ブレンドとは、土地の食材や気候に合わせて先人が固めてきた最適化の記録なのです。
「同じようなスパイスで、さまざまな地域のカレーができるんですよ。」 — メタ・バラッツ
パンチフォロン — 東インドの「5つの香り」
地域ブレンドを学ぶ最初の一歩として、これ以上ない教材がパンチフォロンです。
パンチフォロンは東インド(ベンガル地方)独特の、5種類のスパイスの組み合わせ。名前そのものが構成を語っていて、「パンチ=5」「フォロン=香り」という意味合いです。つまり「5つの香り」。
構成と配合の原則
パンチフォロンの大きな特徴は2つあります。
- 唐辛子を抜いた5種で組む。 辛味の担当を入れず、香りの輪郭だけで構成するのが東インド流です。
- 基本は等分。 バラッツの説明では「全部均等に1対1対1対1対1、5種類」。比率で悩まなくていいのが、入門者にとってありがたいところです。
向こう(東インド)では混ざった状態の既製品として売られていることも多いのですが、構成と比率さえ分かっていれば自分で同量を計って調合することもできます。これが「地域ブレンドを自分で組む」第一歩です。
マスタード油との相性
パンチフォロンはマスタード油との相性が抜群です。東インドではこの5種をマスタード油で炒めることで、独特の香りが立ち上がります。地域ブレンドは「どの油で炒めるか」までセットで設計されている、という好例です。
横展開 — スタータースパイスとして
パンチフォロンはカレー専用ではありません。バラッツは「さまざまなスタータースパイスとして活用できる」と言います。油に最初に入れて香りの土台をつくる——炒め物や、菜の花とエビのような魚介の一品まで、油はじめの香りづけとして幅広く使えます。テンパリングの考え方そのものについては テンパリング/タドカ完全ガイド も合わせて読んでみてください。
スリランカのローステッドカレーパウダー — 「炒って・挽いて・貯蔵する」
東インドが「ホールのまま油で炒める」型だとすると、スリランカは対照的に「ローストしてパウダーにして貯蔵する」型です。
バラッツの説明では、スリランカでは「スパイスをローストして、そのローストしたスパイスをパウダーにして、それを貯蔵しておく」。あらかじめ火を入れた香ばしさを蓄えておく、という貯蔵文化のブレンドです。
ローステッドとフレッシュの使い分け
ここが配合設計として面白いところ。スリランカでは同じカレーパウダーでも用途で2種類を使い分けます。
- お肉や魚料理にはローステッド(炒った深い香り)
- 野菜や豆料理にはフレッシュ(炒らない軽やかな香り)
「火を入れる/入れない」という一手だけで、同じ素材構成から2つの方向性を生み出している。これは地域ブレンドの設計思想がいかに合理的かを示しています。
土地の素材が比率を決める
バラッツはスリランカとネパールを比べて、「同じレシピでも違う味わいになっていく」と語ります。象徴的なのが、スリランカのカレーパウダーには「米文化だけあって、ここにお米を入れる」という配合。一方、インドでは豆(ダル)を入れる。土地で採れるもの、土地の主食が、そのままブレンドの構成に入り込んでくるのです。
ネパールのダルバートマサラ — 深みで「強い素材」を受け止める
ネパールの自家製ブレンドがダルバートマサラ。バラッツによれば、これは深みが強く、癖の強い肉にもしっかり合う配合です。
地域ブレンドを「素材との釣り合い」で見ると分かりやすい。クセの強い肉には、それに負けない深みを持つブレンドを当てる——素材の強さと、ブレンドの強さを釣り合わせるのが配合設計の勘どころです。山がちなネパールの食材に合わせて、深く骨太に組まれているわけです。
西インドの「シードの組み合わせ」と家庭の常備ミックス
西インド(グジャラート方面)には、テンパリングで使う典型的なシードの組み合わせがあります。
- マスタード・フェヌグリーク・クミン — バラッツが「よく西インドの方で使われる組み合わせ」と呼ぶ定番のシード構成。
- フェヌグリーク+マスタード — グジャラート典型のテンパリング組。
さらに家庭レベルでは、コリアンダーとクミンを合わせた「ダナジル(dhana jiru)」が常備されています。グジャラートの家庭の味そのもので、この2種を挽き合わせたミックスがあらゆる料理の土台になります。地域ブレンドは何も特別な店売りミックスだけではなく、各家庭のスパイスボックスの中身として日常に根づいているのです。
酸・塩・香りで組む「チャートマサラ」型
カレーの炒め物だけが地域ブレンドではありません。チャートマサラは、アムチュール(乾燥マンゴーの粉)などを軸にした「酸・塩・香り」の配合。火を使わず、仕上げに振って爽やかな酸味と塩気を立てる、まったく別系統の組み方です。
地域ブレンドには「炒めて香りを出す型」と「振りかけて味を決める型」がある——この2系統を知っておくと、設計の幅がぐっと広がります。
地域ブレンドを自分で組む 5ステップ
ここまでの原則を、実際に手を動かす手順に落とし込みます。
- 基準のブレンドを一つ選ぶ。 まずはパンチフォロン(5種・唐辛子なし・等分)から。比率で迷わないので失敗しにくい。
- 形を決める。 ホールのまま油で炒める(東インド型)か、ローストして挽いてから使う(スリランカ型)か。同じ素材でも香りの方向がはっきり変わります。
- 油を土地に合わせる。 パンチフォロンならマスタード油。「どの油で炒めるか」までがブレンドの一部です。
- 素材の強さに釣り合わせる。 癖の強い肉には深いブレンド(ダルバートマサラ型)、軽い野菜や豆にはフレッシュで軽い構成(スリランカのフレッシュ型)。
- 土地の主食・常備品を一つ足してみる。 米や豆、家庭のダナジル(コリアンダー+クミン)のように、土地の食材を一点加えると一気に「その地域らしさ」が出ます。
この5ステップは、特定のレシピではなく地域ブレンドを読み解くための物差しです。手持ちのスパイスを、この物差しに当てて組み替えてみてください。
応用 — 同じ棚から「地域を旅する」
地域ブレンドの設計図が読めるようになると、応用は一気に広がります。
- 土台のホールスパイスを差し替える。 南インドでよく採れるカルダモンやシナモン、カシアを土台に選ぶと、それだけで南インドらしさへ方向転換できます。土台スパイスの選択が地域性を決める、というのが配合の出発点です。
- ローストの有無で深さを切り替える。 同じ素材構成でも、炒れば肉魚向きの深い香り、炒らなければ野菜豆向きの軽い香り。スリランカ式の二刀流をそのまま借りられます。
- 酸・塩・香り系を仕上げに重ねる。 チャートマサラ型の発想で、炒めて作ったカレーの最後に酸味を一振りすると、輪郭が引き締まります。
- 家庭のミックスを一つ常備する。 ダナジル(コリアンダー+クミン)のような2種ミックスを一瓶持っておくと、どんな料理にも「土地の家庭の味」を差し込めます。
世界中の混合スパイス——インドの地域ブレンドも、その背後にある発想は同じです。スパイスのミックスは、その土地の風土を映した記録なのです。
「同じレシピでも、土地が変われば違う味わいになっていく。」 — メタ・バラッツ
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まとめ
- 地域ブレンドの違いは、スパイスの顔ぶれではなく 「選ぶ・比率・形(加工)」の構成パターンから生まれる。
- パンチフォロン=東インドの5種。「パンチ=5/フォロン=香り」、唐辛子なし・基本は等分(1:1:1:1:1)、マスタード油と好相性。スタータースパイスとして横展開できる。
- スリランカは「ローストして挽いて貯蔵」型。肉魚はローステッド/野菜豆はフレッシュで使い分け、米を加えるのが土地の特徴(インドは豆)。
- ネパールのダルバートマサラは深みが強く、癖の強い肉に釣り合う。素材の強さとブレンドの強さを合わせるのが要点。
- 西インドはマスタード・フェヌグリーク・クミンの定番シード構成。家庭ではダナジル(コリアンダー+クミン)を常備。
- ブレンドには「炒めて香りを出す型」と「振りかけて味を決める型(チャートマサラ)」がある。
- 自分で組むなら、基準ブレンド→形→油→素材の強さ→土地の一品、の順で考える。

